桃配山(ももくばりやま)とは、慶長五年(1600)に起こった関ヶ原合戦で、徳川家康が最初に陣を置いた場所です。
現在では史跡として整備され、関ヶ原古戦場中心地から離れているものの、史跡ファンや歴史ファンが訪れる観光地でもあります。
慶長五年(1600)九月十五日、石田三成が大垣城を出たという報せを受けた徳川家康は、美濃赤坂から桃配山(ももくばりやま)に移動して山腹に布陣したといわれます。
記録によると関ヶ原合戦当日の朝は、小雨が降って濃い霧が立ち込め、周辺の様子がほとんどわからない状態。
伝令等で各隊の動きな配置が伝えられるものの、家康は果たしてどんな気持ちで桃配山に布陣していたのでしょうか?
ところで桃配山の由来
ところでこの桃配山の由来ですが、関ヶ原合戦以前、672年の壬申の乱(じんしんのらん)で、大海人皇子(おおあまのみこ:後の天武天皇)が村人より山桃が献上されたことがありました。
大海人皇子は、その山桃を食べてみると、非常に美味しく気に入ったので、将兵の士気を上げようと、大量に購入して全軍に配り、見事、戦に勝利します。
この事から縁起が良いということで、家康は桃配山に陣を置いたと伝わります。
(※しかし徳川家康は大海人皇子のマネをしてココで桃を配ったというワケではありません)
現在では観光地として整備されており、観光客も立ち入る事ができます。
桃配山には駐車場があります。
国道21号線沿いの桃配山とは反対側にあるので、駐車場にクルマを停めた後、道路を渡らなかればなりません。
駐車台数は6〜8台停める事ができそうです。桃配山は駅から遠いので、クルマが無ければ困難な史跡のでもありますので、この駐車場は嬉しいですね。
そしていよいよ登山してみます。
登ってみた感想ですが、桃配山の標高は104mといわれていますが、比高は30mくらいなので、そんなにキツくはありません。
また最小限度の整備はされているものの、やはり足元は固めて登りたいと思いました。
まあ、桃配山だけではなく、関ヶ原の史跡は山道も多いので、サンダル、ハイヒールなどよりスニーカーとかのほうが歩きやすいです。
登ってみると石碑と案内看板があります。あと手前には関ヶ原合戦の時に家康が使用したといわれる腰掛石と机石が今でも残っています。
周辺は木々に覆われ、桃配山の外の様子を見渡す事はできませんが、当時は見晴らしも良かったと思います。
さて、現在の時間でいうと、午前8時くらいに始まった関ヶ原合戦。
戦況は西軍が有利とのこと。その報せを家康はココで聞いていたのですね。
状況次第では南宮山の毛利勢、松尾山の小早川勢が東軍に襲いかかってくるかもしれないので、家康的には結構、焦っていたのかもしれません。
しかし地の利もあって、西軍優勢は覆す事ができず、家康は軍を進めることにしました。それが次なる史跡、陣場野(じんばの)です。
[ip5_box size=”box–large” title=”ほかの東軍陣址はもうチェックしました?” title_size=”” width=””]
[/ip5_box]