関ヶ原合戦で東軍として戦った池田輝政の陣址レビューと逸話について。
現在に残る国宝姫路城を築いた池田輝政も関ヶ原の戦いに参戦した武将のひとりです。
輝政は本戦では前線に出ず、家康の背後を守るカタチで中山道沿いに陣を置き、南宮山の毛利勢と対峙していましたが、それ以前の岐阜城攻めでは福島正則と共に先鋒を務めて戦功を立てています。
関ヶ原合戦当時は吉田城主(現在の愛知県豊橋市)として出陣しています。
輝政が陣を置いたのは中山道沿いの地で、現在、案内看板と石碑が建っています。ところでこの地は輝政の陣址だけではありません。
なんとココには別の史跡である春王・安王の墓があります。
つまり、池田輝政陣址 = 春王・安王の墓 というワケです。
歴史的なつながりはありませんが、史跡巡りの際には、春王・安王の墓を目指して行けば、輝政の陣址に着くということですね。
知っておきたい剛腕の妹
さて、あまり知られていない事ですが、輝政には天久院(天球院とも)という妹がいました。
天久院とは後に出家した時の名前で、それ以前の名前はよくわかりません。
あまり器量はよくなかったらしく、またそれほど美しくもありませんでしたが、特筆すべき能力がひとつだけありました。
怪力です。
輝政が吉田城主時代の頃のオハナシ。
ある日、刀を持った乱心者が城内に入り込み暴れていました。
しかしその乱心者の前に鉢巻きをして袴の裾を高くからげ、大薙刀を構えた輝政の妹が立ちふさがります。
さすがの乱心者も彼女のあまりの剣幕に逃げ出してしまいますが、彼女はそれを追いかけ、遂には乱心者を倒してしまいました。
まだあります。
吉田城で女性の行方不明者が続出した事があり、人々は妖怪の仕業とウワサし始め、それを聞いた輝政の妹は、ある夜、行方不明者が多く出るという場所の近くの小屋に女性の衣装を着て寝たふりをしていました。
しばらくすると…
侍女のひとりがやって来ましたが、彼女の近くまで来ると、巨大な化け猫となり、彼女に襲いかかります。
しかし輝政の妹は素手で化け猫をねじ伏せて倒してしまったそうです。
武勇伝が語り継がれる武将は多くいますが、女性では非常に珍しい例だと思います。そして関ヶ原合戦でも彼女の武勇伝は続きます…
関ヶ原合戦時、輝政の妹は山崎家盛という摂津国三田城2万3千石の城主に嫁いでいました。
しかし家盛が自分を石田三成に人質として差し出そうとすると、自力で城を飛び出し、後に鳥取城主となった弟(兄とも)・池田長吉を頼ります。
この時から天久院と名乗ったらしく、現在、京都にある臨済宗妙心寺 塔頭天球院は、輝政の孫が彼女のために建立した寺院と伝わります。
もし天久院がオトコで、輝政と共に関ヶ原合戦に参戦していたら、どれほどの武功を立てたのでしょうね?
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