徳川家康が桃配山から本陣を移した陣場野レビューと感想

関ヶ原古戦場の陣場野(じんばの)とは、徳川家康が桃配山の次に本陣を置いた場所です。

 

関ヶ原の戦いは現在の時間でいえば現在の時間でいうと、午前8時頃に開戦となりましたが、地形的に先に布陣した西軍が有利で戦いが進んでいました。

 

桃配山で指揮を採っていた徳川家康でしたが、どうしても戦況は変わらず、クズグズしていると内応を約束した松尾山の小早川秀秋、動かないハズの南宮山の毛利秀元らもひょっとすると東軍に襲いかかってくるかもしれません。

 

その恐れもあったのか、全軍を鼓舞するという意味で桃配山から軍を前線に進めます。その地が陣場野(じんばの)です。

 

 

 

 

陣場野の信号

陣場野

陣場野といわれる場所は広く、どの辺りに家康本隊が布陣したのか詳細は分かっていません。

 

また戦後に首実検が行われた地も陣場野という地名なので、よく混乱したりします。

 

そんな中、現在の国道21号線・関ヶ原バイパスに陣場野という地名が有り、信号名も陣場野ですこの地は三成本陣の笹尾山の東600mくらいのところです。

 

クルマで関ヶ原バイパスを走っていると、見つけることができますが運転中は周囲の安全に気を配り、さりげなく信号もチェックしてみましょう。

 

 

 

 

東軍のみなさんプレッシャー!

鉄砲衆

さて、家康が前線に布陣したことにより、東軍全軍にかなりのプレッシャーもかかったのでしょう。

 

東軍は奮戦を続けます。

 

またこの時、もし南宮山に布陣した西軍の毛利秀元ほか、安国寺恵瓊、長束正家、長宗我部盛親らが家康の背後から襲いかかっていれば、東軍は袋のネズミ状態にもなっています。

 

一応、山内一豊、池田輝政らを家康本隊の後方を守らせるカタチで布陣させてはいるものの、逃げ道をふさがれるカタチになるんです。

 

それを踏まえての前進でもありました。

 

ところで気になるのは松尾山の小早川秀秋。西軍として出陣してはいるものの、東軍に寝返ると言っておきながら、いつまでたっても動きません。

 

 

 

 

関ヶ原合戦の石田三成

三成本陣の笹尾山でも小早川隊の動きが気になっており、出馬の使者を派遣しますが、一向に動く気配はありません。

 

それは家康も同じで、陣場野に進んだ家康は、松尾山の小早川隊に対して、いよいよあの行動をとることになります。