これが徳川家康が陣を置いた美濃赤坂!大垣市の勝山(岡山)

慶長五年九月十四日の正午頃、徳川家康率いる約3万の軍勢が美濃赤坂(現在の岐阜県赤坂町)に到着しましたが、その時、家康が本陣を置いた場所が岡山という山でした。

 

もともとこの場所は、井伊直政、本多忠勝といった歴戦の武将が選定した場所ということもあり、街道を押さえた地の利や展望の良さもモチロン考慮されたのでしょう。

 

ちなみにこの岡山は聖徳太子創建と伝わる安楽寺領であり、壬申の乱や江戸時代の大垣藩にもゆかりが深い山です。

 

さて、家康が到着した時、東軍の士気は多いに上がったと伝わります。

 

その後、家康は岡山で食事をとろうとしていましたが、その時に始まったのが杭瀬川合戦です。

 

 

 

 

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杭瀬川合戦は西軍総帥・石田三成の家臣・島左近の奇襲戦で西軍勝利となりましたが、家康は岡山より一部始終を見ていたといわれています。

 

 

 

 

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現在でも岡山は残っており、一般の人も入ることができます。まず入口にある石碑は関ヶ原合戦の慰霊碑。

 

また関ヶ原合戦後、家康が勝ったということで岡山⇒勝山という名称変更に関する説明もあります。こういった地元での説明は貴重です。

 

 

 

 

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頂上までの道です。岡山(勝山)は海抜約53メートル程の山なのでそんなにキツイ登山ではありません。緩やかに登っていきます。

 

足場はそんなに悪くないですが、デコボコした場所もありますので、スニーカー等でシッカリ固めて登りたいですね。

 

 

 

 

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頂上に着くと【史蹟関ヶ原合戦岡山本陣址】と刻まれた石碑があります。家康が本陣を置いた場所というのがわかりますね。

 

 

 

 

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さらにいくつかの案内看板と展望台があります。案内看板は岡山の事や杭瀬川合戦の事について書かれており、これも見逃さずにチェックです。

 

 

 

 

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【家康の物見台】という名前が付いた展望台。杭瀬川合戦を家康は食事中に観戦していましたが、東軍が討たれていく様に家康は米粒が膝の上に落ちても気付かないくらいに見入っていたとか。

 

ちなみに古記録では、扉を本陣の営舎の上に乗せて、その上で家康は観戦していたそうですが、ココではあえて展望台として再現したそうです。

 

この展望台からは岡山の周辺が非常によく見渡せます。

 

 

 

 

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展望台からの景色。現在では住宅地、商業地が広がっていますが、関ヶ原合戦当時は村が点在した広大な平地だったのでしょう。

 

ここからですと杭瀬川合戦が行われたといわれる場所、現在の日吉神社がどの辺りかよく分かりませんが、キホン平地なので当時はよく見えたのでしょうね。

 

家康的に杭瀬川合戦は、西軍のお手並み拝見というつもりで観戦していたと思いますが、まさかの敗北に終わるとは…

 

この岡山の次に家康が本陣を置いたのが桃配山です。

 

岡山(勝山)の地図