関ヶ原の戦いで一番注目されているのが小早川秀秋についてではないでしょうか?
彼は秀吉の妻・高台院(おね、寧々とも)の兄である木下家定の5男として、近江国長浜(現在の滋賀県長浜市)で生まれたといわれます。これが天正十年(1582)のこと。
その後、秀吉の養子となり、豊臣秀俊と名乗り、ゆくゆくは豊臣家の後継ぎと思われていましたが、文禄2年(1593)に秀頼が生まれると、小早川家に養子に出されました。
慶長の役では大将になったが…
最初は毛利家に養子に出されようとしましたが、小早川隆景が毛利家の純血を守ろうと、自ら養子縁組を申し出たともいわれていますが、まさかその子が日本史に名を残すある意味、大人物になろうとは、さすがの隆景もこの時点では気が付いていません。
慶長二年(1597)に慶長の役に出陣した時、秀俊から秀秋に改名しています。
また慶長の役では、大将でありながら先陣をきって敵軍を追撃した等の行動を【軽率】とみられ、帰国後オシオキに近い減封を受けてしまいます。そんなことがあっての関ヶ原出陣となりました。
かつて城だった松尾山
ところで松尾山は関ヶ原の戦いの時に小早川秀秋がイキナリ陣をおいたのではなく、もともと戦国時代以前の応永年間(1394~1428)に、美濃の守護代・富島氏が築城したと云われる城がありました。
これは関ヶ原の地が、美濃と近江の国境近くということが理由のひとつなのでしょう。
戦国時代になると、近江の浅井氏の家臣・樋口氏が入城しますが、織田信長と浅井長政の仲が悪くなると、樋口氏は織田に寝返り織田方の城となります。
浅井氏滅亡後は不破河内守光治が守備していましたが、美濃・近江も織田領となった事から、国境の城としての役目を終え、天正七(1579)年には廃城となったそうです。
ということで、関ヶ原合戦時、小早川秀秋が松尾山に陣を敷いたという事は、単なる山に陣を置いたのではなく、かつての山城に入城したという事になりますね。
実際に登ってみました
さて小早川秀秋陣址である松尾山へは、少し入り組んだ道を辿って行くことになります。観光パンフにも記載されていますが、やはり初めての人にはやや分かりづらいです。ということで、まずは縄手橋を渡ります。
なんと松尾山に登る手前に駐車場もあります。5台ほど駐車ができるので、車で史跡巡りをしている人には嬉しいですね。
こんな山道を登って行くワケです。
必要最小限の整備はされているもののやはり山道ということで、夏場などは虫にも注意したいです。また足元はスニーカー等でシッカリ固めて登る事をオススメします。
ところどころに案内看板がありますので、それに従って登っていけば山頂にたどり着くことができます。目指すは松尾山山頂です。
山頂に着きました。ブログではサクッと書いていますが、史跡巡りというよりも登山に近いかもしれません。石碑と案内看板があります。
山頂はちょっとした公園になっているので、テーブルや椅子などがあるのも嬉しいですね。ココで昼食を食べるのもいいかもしれません。
よく見ると、土塁らしきものがあります。戦国時代からのものなのか、それとも公園整備の時に築かれたものかは分かりませんが、陣址の雰囲気が伝わりますね。
石碑と案内看板がある奥にも行くことができます。トイレもありますが、暗いのであまりオススメはできません。松尾山には約1万5千の兵が配置されていたといいますから、山頂を中心にいくつかの隊に分かれて駐屯していたのでしょう。
松尾山の奥に入ってみます。ところどころにある削平地も曲輪に見えてしまうのが不思議です。中は杉林になっており、思ったほど茂っていませんでした。
井戸を発見!いつの時代のものか分かりませんが、井戸があるという事は、湧水があるということ。戦国時代の城や山に構えた陣など、水の手、つまり井戸は欠かせませんからね。
またどんな山でも水が湧くというワケではなく、例えば織田信長で有名な岐阜城(稲葉山城)は岩盤でできた山であり、水は湧きません。
なので岐阜城にいくつか井戸がありますが、全て雨水を貯めた井戸なんです。
人間は米が無くても水さえあれば、数週間生き延びるといわれており、逆に米があっても水が無ければ数日しか生きられないともいわれています。
なので水は大事ですね。
そして特筆すべきは松尾山の景色。関ヶ原の平地、つまりかつて東西両軍が戦っていた場所を一望できます。
ちょうどこの日、うっすら霧が立ち込めていましたが、関ヶ原合戦当日も濃い霧が関ヶ原を覆っていたということで、その雰囲気を味わうこともできました。
さて、合戦の2年後である慶長七年(1602)に21歳という若さで亡くなった秀秋。
現在では秀秋のファンはなぜか多く、一般公募の関ヶ原のお祭り等では、小早川隊は早く埋まってしまったりします。
これは今まで単に裏切り者として評価されてきた秀秋ですが、彼の松尾山での苦悩を考えると、同情に近いものがあるからではないでしょうか。