関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康の腰掛石が関ケ原町今須に残っています。
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康率いる東軍は、一日明けて石田三成の居城・佐和山城がある近江(現在の滋賀県)を目指しますが、その途中にあったかつての中山道今須宿の伊藤家で休憩をとりました。
その時、家康が腰掛けたと伝わる石で、江戸時代を通じて本陣の指定を受けていた伊藤家では、代々この石を大切に保存していました。
明冶三年(1870)の本陣廃止以後は、現在の青板神社境内にて公開展示保存されることとなり、現在でも神社の境内の奥に看板付きで残っています。
この家康の腰掛け石が残る青坂神社がある場所は、関ケ原町今須で現在の今須中学校の東北200mくらいの線路を挟んだ向かい側の場所。関ヶ原から滋賀県に向かう現在の国道21号線沿いにありますが、非常に場所が分かりづらいです。
というのは、この青坂神社があった地を線路が通る事になり、線路建設の時、境内を貫通してしまい、今では線路スレスレに神社が建っています。
その奥に腰掛石と看板があるワケですが、関ヶ原の中心地から離れている為に徒歩やレンタサイクルで訪れるのは困難な史跡のひとつ。
しかも観光地として整備されているワケでもないので、専用の駐車場もありません。
ということでこの史跡を訪れるポイントとしては、まず車が便利で、近くの駐車可能な場所(駐車禁止ではない場所)に車を停め、徒歩で向かっていくのが良いと思います。
また線路スレスレの史跡ということで、電車が通る度に間近で電車を見る事ができますが、神社の遠景を撮っていると電車マニアに間違われます(笑)
徳川家康の腰掛けた石は関ヶ原以外にもたくさんあり、愛知県にも吉田城址、長久手古戦場の色金山などがありますが、ココも家康の関連史跡ということでチェックしてみるのも良いですね。
ここで休憩をとった後、いよいよ三成の佐和山城を攻めるワケですが、実際に佐和山城を攻めたのは家康ではなく、関ヶ原合戦途中から東軍に寝返った小早川秀秋、脇坂安治などの寝返り組を含めた数隊でした。
家康は佐和山城攻めに加わらず高みの見物でしたが、その先にある大坂城や今後の豊臣政権のあり方、そして関ヶ原での論功行賞などもこの腰掛け石に座り考えていたのかもしれませんね。