関ヶ原の戦いで最も激戦が繰り広げられていた場所、それが現在の決戦地の石碑周辺だといわれています。

 

鶴翼の陣を敷いた西軍に対し、東軍は魚鱗の陣といわれる突撃型の陣形で戦っていたといわれています。

 

地形的に西軍諸隊の陣は、東軍の陣よりも高台にあり、東軍は坂を登るカタチで攻めており、西軍は坂を下る様に戦っています。

 

この地の利が合戦前半まで西軍有利にしていた理由のひとつといわれています。

 

 

 

戦う小早川秀秋

 

しかし合戦半ばに小早川秀秋が東軍として寝返った後は、脇坂、朽木、小川、赤座の諸隊も東軍として参戦し、これにより戦いの流れは一気に東軍に傾きます。

 

その時、石田三成は東軍の細川、黒田、加藤、田中の諸隊に入れ替わり立ち代わり攻められ、島、蒲生、舞の重臣たちが奮戦するも東軍に押し切られます。

 

これらの激戦があった場所が決戦地といわれています。

 

 

 

%e9%96%a2%e3%83%b6%e5%8e%9f%e3%81%ae%e6%b1%ba%e6%88%a6%e5%9c%b0%e3%81%8b%e3%82%89%e7%ac%b9%e5%b0%be%e5%b1%b1%e3%81%ae%e5%9b%b3

 

現在、決戦地には石碑と案内看板、そして家康と三成の旗が建っていますが、注目すべき点はその場所です。

 

笹尾山(石田三成陣址)の東南約200mくらいのところにあり、目と鼻の先です。

 

合戦では目のカタキにされていた三成でしたが、家臣たちの働きもあって東軍を押し返してもいますので、やはりこの周辺まで攻め出したりしていたのではないでしょうか。

 

現在周辺は田んぼのみ。

 

この周辺で激戦が繰り広げられていたので、ひょっとすると土を掘ると、何か出てきたりして…みたいな気もしました。

 

また笹尾山からなだらかな傾斜も続いており、西側に陣を構えた西軍有利の地形もよく分かります。

 

関ヶ原を訪れるうえで、是非、チェックしておきたい史跡のひとつです。

 

決戦地の地図