関ヶ原合戦で、ほとんど西軍の主力として戦った宇喜多秀家の陣跡レビューと彼の逸話を紹介します。

 

宇喜多秀家は役1万7千の兵で関ヶ原合戦へ挑み、福島隊との激突して開戦のキッカケを作った大名です。(その前に松平忠吉の抜けがけがありましたが…)

 

まず陣跡ですが、南天満山のふもとにある現在の天満神社境内がその現場です。

 

宇喜多秀家陣跡の地図

 

 

 

 

お父さんは有名人!

さて秀家は、備前国岡山城(現在の岡山県岡山市北区)主の宇喜多直家の次男として元亀三年(15721)に生まれました。

 

幼名は八郎。彼の父は宇喜多直家といい、下克上の代表選手みたいな人です。

 

成り上がるためには手段を選ばなかった父・直家は、あらゆる手段を取り、ついには備前一国を治めるまでになります。こういった所業で後世に斎藤道三や松永久秀(弾正)とならび、三大謀将、あるいは三大梟雄(きょうゆう)なんていわれたりもしましたが…

 

さて、そんな直家も秀吉の毛利攻め時に織田家に降り、その後、直家の次男だった八郎は、秀吉の【秀】の字をもらい元服して秀家と名乗りました。

 

その後、秀家が家督を継ぎ、豊臣政権では五大老という政権の中枢の存在にまでになりますが、秀吉没後、家康をキライ三成に加担するカタチでの関ヶ原参戦でした。

 

 

 

 

関ヶ原天満神社

秀家が陣を置いたのは南天満山。現在は天満神社が祀られています。

 

神社の入口に石碑があり、そこからうっそうとした林の中を進んで陣跡に向かいます。

 

 

 

 

参道

こんな道を進んで行きます。

 

とりあえず道があるので大丈夫ですが、この後にある大谷吉継陣跡へも向かいますので、足元は固めて行ったほうが良いですね。

 

ハイヒールだと結構キツイかもしれません。

 

 

 

 

関ヶ原天満神社境内

そして着いた天満神社。現在も普通に山のふもとの神社です。

 

この地に1万7千の軍勢が布陣していたとのことなので、もしかすると山のふもとだけではなく、山腹、山頂辺りにまで布陣していたのかもしれませんね。

 

 

 

 

浮田秀家陣所の石碑

陣跡の石碑。『浮田秀家』とありますが、当て字というよりも八丈島に流された後、浮田と改名しているため、間違いではなさそうです。

 

 

 

 

宇喜多秀家公陣跡の石碑

こちらは宇喜多秀家の名前での石碑。この陣跡にはふたつの石碑がありますので、二つともチェックしておきましょう。

 

 

 

 

長寿とおにぎりの逸話

関ヶ原の敗戦後、秀家は変装して薩摩の島津氏を頼ります。

 

しかし秀家潜伏のウワサが流れたので、島津氏もいつまでも秀家をかばうことができず、ついに関ヶ原合戦から三年が過ぎた慶長八年(1603)に幕府へ渡され、本来ならば処分されるところを島津忠垣、前田利長らの助命嘆願によって八丈島に流されます。

 

かつては豊臣五大老として、悠々自適の生活を送っていた秀家。

 

しかし秀家の正室・豪姫の実家である加賀の前田家から各年で米俵70俵を援助してもらいながらでも八丈島ではかなり不自由な生活でした。

 

そんな八丈島での貧しい生活が想像できるこんな逸話が残っています。

 

ある日、八丈島に赴任した代官は秀家を宴会に招待しました。

 

宴席にはたくさんのご馳走が並んでいましたが、その中に大きなおにぎりが2つありました。

 

秀家はおにぎりを1つ食べると、懐(ふところ)から風呂敷を出し、もうひとつのおにぎりを丁寧に包みます。

 

なぜそんなことをするのか?と代官がワケを聞くと、

 

『八丈島では満足に米を食べる事ができないので、この大きなおにぎりを家の者に食べさせてやりたいのです』

 

と、ニッコリ笑って答えました。

 

そんな秀家の優しさに感動した代官は、後日、米一俵を秀家のもとに届けさせますが、この米一俵がよほど感動したらしく、宇喜多家の家宝の盆をお礼として代官に贈ったそうです。

 

また福島家の船が偶然難破しかけて八丈島に避難した時、いろんなものを分けてくれと、やたらしつこく頼んだというエピソードが残っています。

 

その後83歳まで生き、明暦元年(1655)に天寿を全うしましたが、すでに徳川幕府四代将軍・家綱の世でした。

 

当時は人間50年の時代ですから、これはかなり長寿ですよね。自分の仲間たちや親族が亡くなっていく中、秀家はどんな事を思い生き長らえたのでしょうね。

 

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