大垣城の見どころと5つの観光ポイントについて説明します。
現在天守が建っている場所は、かつのて大垣城の本丸、つまり中心部だったので、ココ以外にも周辺の住宅地や商業地も大垣城内だったワケです。
天守は有料(¥100)ですが、その周辺の公園は無料。また天守中にも見所がたくさんあります。それが以下のポイントです。
[ip5_coloredbox color=”colored-box–green” width=””]
- 石垣
- 化石
- おあむの松
- 戸田氏鉄銅像
- 水堀跡
[/ip5_coloredbox]
では順番にチェックしてみましょう!
【1】石垣
まずは天守の石垣。野面積みという自然石を積み上げた技法です。
石垣はイイですね。天守も城のシンボルですが、石垣もまたマニアがいるほど城好きにはタマラナイ遺構のひとつです。
【2】化石
天守の石垣をよく見てみると…なにか模様がありますね。これは刻印ではなく化石なんです。ちなみにこれはベレロフォンという巻貝の化石。
なぜ海に遠い大垣城の石垣に化石が見られるのかというと、これには深いワケがあります。
大垣城の石垣は、美濃赤坂(かつての中山道宿場・赤坂宿があった場所周辺。ちなみに野一色頼母の兜塚もあります)の金生山(きんしょうざん)から切り出してきたもので、金生山は約2億5千年前に赤道付近にできた海底火山が、プレート移動によって運ばれて山になったものだそうです。
2億5千年前って…
つまりこれは現在の日本周辺ではなく、もっと南の海からプレート移動で運ばれたものということがわかりますね。
当時はこの周辺も海の中だったということです。
そしてこちらはウミユリの化石。棘皮(きょくひ)動物の仲間です。この化石も天守下の石垣にありますので探してみましょう。
また天守下の石垣には戦国時代ではなく、明治29年の大洪水の水位が記載されています。石碑が建っていますので、これは化石に比べて分かりやすいです。
石碑の裏をよく見てみると、石垣に線が入っていますが、ここまで水に浸かったということなのでしょう。
写真ではピンときませんが、実際に現地に立ってみると本丸の高い位置まで浸水したという事がよくわかります。
大垣市は水の都ともいわれるくらい水が豊富な地域ですが、水の驚異にもさらされていたのですね。
【3】おあむの松
そしてこちらは【おあむ】の松。そう、あの伝説の戦国少女(実在した人物ですが)おあむにちなんだ松です。
松といえばよくあるのが、甲冑などをかけた【鎧がけの松】などですが、これは、おあむが甲冑をかけたとかいうことではなく、大垣城から逃げる時に松をつたって逃げたので、それにちなんだ松ということ。
しかも初代は枯れてしまい、これが二代目。でもおあむ物語に登場する有名な松ですね。
【4】戸田氏鉄銅像
大垣城の西側の公園に馬に乗った甲冑武者の銅像があります。これは戸田氏鉄(とだ うじかね)という戦国武将です。
氏鉄は天正四年(1576)三河国仁連木(みかわこく にれんぎ:現在の愛知県豊橋市仁連木町)に生まれたといわれています。
戸田氏は古くから仁連木周辺に勢力を持っていた一族で、戦国時代は駿河の今川氏や三河の松平氏、牧野氏らと戦ったり、従属したりして戦乱の世を渡りますが、氏鉄は家康の近習として仕え、家康と共に各地を転戦。
関ヶ原の戦いにも従軍し、慶長八年(1603)父・一西(かずあき)の死により家督を継いで、ぎ近江国膳所(おうみこくぜぜ:現在の滋賀県大津市)藩主となります。
大坂の陣後、元和2年(1616)摂津尼崎五万石へ移封後、寛永十二年(1635)美濃大垣10万石へ移封されました。
その後、代々戸田氏が大垣藩主となり、明治時代まで続いたので、氏鉄は大垣藩の藩祖としても有名な人物です。
【5】大垣城の水堀跡
大垣城はかつて水堀の囲まれた、いわば水の城みたいなものでした。
大半の堀は埋め立てられましたが、一部堀は現在でも大垣城を取り囲む堀になっています。
所どころ門址があり、案内看板も建っているのでチェックしてみてください。
こうやってみてみると、公園の外にも大垣城の遺構を見る事ができますね。
ということで大垣城の見どころと5つの観光ポイントでした。
大垣城を訪れた際には参考にしてみてください。
[ip5_box size=”box–large” title=”以下の同じ大垣城関連の記事、もうチェックしましたか?” title_size=”” width=””]
[/ip5_box]