島津豊久の墓とセットで巡りたい上石津郷土資料館の理由とは?

【島津の退き口 6/6】

島津豊久のお墓がある上石津町上多良地区には、上石津郷土資料館というのがあります。上多良地区に来た際には、この資料館も訪れてみることをオススメします。

 

上石津郷土資料館 | 大垣市公式サイト

 

 

 

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まずは上石津郷土資料館のアクセスから。バス停【宮】を目差します。このバス停の坂の上が資料館です。

 

 

 

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するとなにやら石垣が見えてきます。

 

じつはこの上石津郷土資料館は、かつての多良城(多羅城とも)址で、江戸時代には城に変わる陣屋が置かれました。

 

この上多良地区には、戦国時代に斎藤道三、織田信長、織田信雄に仕えた領主・高木貞利という人物がいましたが、織田信雄が秀吉に改易された時、連座ということで一時期、甲斐国(現在の山梨県)に蟄居処分となってしまいます。

 

その後、この地を領したのが関一政で、この時、多良城を築いたそうですが、築城時期については、天正年間(1573~92)とも慶長年間(1596~1615)ともいわれハッキリしていません。

 

慶長五年(1600))関ヶ原合戦後、関一政は伊勢国亀山(現在の三重県亀山市)に移封となったので、代わりに甲斐国から高木貞利がこの地に戻って旗本となります。

 

その時、高木家は高木貞利の西高木家(2,300石)、高木貞友の東高木家(1,000石)、高木貞俊の北高木家(1,000石)の3つに分かれて交代寄合となり、各付的には大名格で3家が隔年で交代して江戸まで参勤交代を行いました。

 

その西高木家の陣屋址が現在、上石津郷土資料館になっているのです。

 

 

 

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入口に建つ『美の衆陣屋跡』の石碑。美の衆とは『美濃衆』ともいいい、西高木家、東高木家、北高木家の3家の名称です。

 

 

 

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現代の残る石垣は文化十二年(1815)に築かれたものだと伝わります。個人的にはこういった石垣が好きです。

 

200年近く経っているのに未だに、これだけの石垣が残っているのはスゴイですね。

 

 

 

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そして資料館。

 

この資料館の前に無料駐車場もあるので、車で訪れるときは助かります。

 

 

 

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資料館の入口。手前に立つのぼりが、かつての陣屋を想わせますね。

 

 

 

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そして入館料。¥100というのが嬉しいですね。

 

資料館の中は撮影禁止になっているので、写真は撮れませんでしたので、文章で解説してみます。

 

私の感想ですが、資料館の中にはいろんな時代の展示物がありますが、その中に島津氏に関するコーナーがあり、これが郷土史レベルで解説されているので、チェックされることをオススメします。

 

ちなみに個人的には、関ヶ原合戦時に豊久が着用していたという甲冑のパネルが展示してありそれに見入ってしまいました。

 

戦国時代に主流だった桶側胴(おけがわどう)の甲冑ではなく、南北朝時代の【腹巻】という、たくさん糸を縅した甲冑に近いものでした。

 

実物はココにはなく、パネルでの展示でしたが、やはり甲冑にフォーカスしてしまいますね。

 

また島津隊の逃げ道のルートなども解説してありますので、1コーナーではありますが、この上石津郷土資料館はオススメの資料館です。

上石津郷土資料館の地図