現在の時刻でいうと、午前8時頃に始まった関ヶ原の戦いですが、西軍有利で合戦が進む中、徳川家康は全軍を鼓舞する為にあえて桃配山を下り、本隊を進めます。

 

その場所が現在歴史史跡として整備されている床机場(しょうぎば)付近ともいわれています。

 

これとは別に以前紹介した関ヶ原バイパスの【陣場野】信号付近に出て、その後、この床机場へさらに軍を進めたという説もあります。

 

どちらにせよ、最終的に家康が本隊を進めた場所がこの床机場付近です。

 

また小早川秀秋の陣へ鉄砲で合図をしたことが史実なら、場所的にはこの付近であろうともいわれています。

 

 

 

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現地に建つ看板。そして合戦後に首実検を行った場所ということで、合戦後に東軍の諸将もこの地に集まりました。

 

 

 

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現在では石碑と徳川の旗が建っています。周辺を土塁が囲んでおり、また中央に高台がありますが、これは合戦当時のものではなく、幕府の命により、この地の領主であった竹中氏が天保十二年(1841)に築いたものです。

 

 

 

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床机場の中央の高台に建つ石碑。

 

諸将が集まっていましたので、首実検のほか、ちょっとした軍議も行われたのかもしれませんよね。例えばこの後の佐和山城を攻める部隊を決めたり、小早川秀秋ほか寝返り組4将たちもタジタジで詰問されたり…

 

福島正則が井伊直政、松平忠吉らに激しく抗議していたり…いろんな事を想像してしまいます。

 

またこの床机場は、資料館から徒歩で散策できるコースに組み込まれており、近くには、田中吉政陣址、東首塚などがありますので、まとめてチェックしておきたいです。

 

近くに御霊神社(みたまじんじゃ)というものがあります。

 

これは関ヶ原合戦で亡くなった大勢の死者を供養するためのもので、中には子孫が途絶えて慰霊すらされていない死者の為に昭和五十五年に建てられた神社です。

 

ココも忘れずに。

 

床机場の地図