関ヶ原町には関ヶ原合戦の始まりの地という場所があります。それが開戦地です。

 

【日本戦史・関原役】によると、東軍と西軍の布陣が終わったのが現在の時刻でいう午前6時頃。この日、関ヶ原では濃い霧が出ており、周辺がほとんど見渡せなかったといわれています。

 

そのために両軍とも下手に動くことができず、霧が晴れるのを待って2時間ほど対峙しています。

 

 

 

 

福島正則の旗

やがて霧が晴れて周辺の様子が見渡せるようになった頃、この日、先鋒と決まっていた福島正則隊の脇を通り抜ける小人数の隊があり、福島隊に陣借りしていた可児才蔵が呼び止めると…

 

なんと同じ東軍の井伊直政と松平忠吉らであり、忠吉が初陣ということなので『物見』、つまり様子見の為に通るとのこと。

 

 

 

 

鉄砲衆

しかしこれが井伊直政の策略で、忠吉に一番槍の手柄を上げさせようと鉄砲隊を引き連れて宇喜多隊に向けて発砲。

 

すると宇喜多隊もこれに応戦するカタチで発砲。

 

いつの間にか一番槍の手柄を取られた怒り狂った正則は、遅れてなるものかと宇喜多隊、もしくは小西隊に攻撃を仕掛けます。

 

これがキッカケで合戦が始まりますが、この時間が現在でいうと午前8時頃です。

 

このやりとりがあった場所が開戦地とされており、現在でいうと小西行長陣址の前にあたりあります。どちらかというと行長の陣は開戦地の陰に隠れている感もあります。

 

なので、史跡を巡っている人は行長の陣をスルーしてしまう事もあるみたいですが、逆にいえば行長の陣と開戦地の陣を2つまとめて巡る事ができるというワケです。

 

 

 

 

関ヶ原古戦場開戦地の駐車場

また開戦地には駐車場もあるので、車で史跡巡りをしている人には嬉しいですね。この駐車場に車を停めて、小西行長の陣址と開戦地両方を巡ってみましょう。

 

ただココまでの道は細いところもありますので、あまり大きな車だと運転しづらいと思いますし、道脇すべてにガードレールがあるワケではないので、ハンドル操作を誤れば田んぼに落ちたりする可能性もあります。

 

なのでゆっくり慎重な運転を心がけましょう。

 

ところで以前のレポにも書きましたが、西軍の陣址は史跡巡り散策コースが出来上がっており、この開戦地は順番でいくと、

 

島津隊陣址⇒開戦地・小西行長陣址⇒宇喜多秀家陣址(南天満山)

 

という流れになっています。

 

またこの開戦地は昭和六年(1931)、当時の文部省が関ヶ原の戦いの開戦地として史跡に指定したワケですが、当時はもう少し南に石碑があったとのこと。

 

ではなぜ石碑がこの場所に移ったのかというと、これは後年の圃場整備によるものであり、実際の場所より北側である現在地に移動したんですね。

 

一番気を付けなければならないのが、この石碑移動のため、開戦地の石碑の後に小西行長陣跡が隠れるようにあるという事です。

 

 

 

 

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開戦地から東の方角、つまり東軍の陣があった方向を見てみるとこんなカンジです。今では田畑が広がり、遠くに現在の関ヶ原の町並みも見えますが、かつて軍勢でひしめき合っていたのでしょうね。

 

モチロン、怒り狂った福島隊も目前だったのでしょう。

 

今では想像もつかないくらいノンビリとした風景ですね。

 

関ヶ原合戦開戦地の地図