謎が多い関ヶ原の戦いですが、豊臣秀頼を向かい入れるために整備されていた山城があったといわれています。それが玉城(たまじょう)です。城郭考古学者である千田嘉博氏が推す新設で今後の議論が注目されます。
そんな玉城ですが現在でも登ることができるのです。この記事では玉城の行き方そして登り方、城内の遺構や私の感想をまとめてみました。
登城口はここ
玉城へ登るルートはいくつかあるみたいですが、私が一番登りやすいと思う場所をお伝えします。関ヶ原ウォーランド近くにある玉の火薬庫営門と立哨台の史跡へ行きましょう。車でアクセスする時は駐車可能な然るべき場所に駐車して下さい。
玉城への行き方
では玉城へのアクセス方法です。玉の火薬庫営門と立哨台の道路向かいにある橋を渡りそのまま進みます。車ではなくここからは徒歩のほうが良いです。
最初の分岐を左に進みます。この分岐の正面にあるのが玉城。つまりあそこまで登るのです。
しばらく進むとまた分岐があるので左に進みます。目印は以下の2つ。
●クマ出没注意!
●山中1.3km
アスファルト舗装の道を歩いてきましたがここから山道を進みます。つまり分岐を右です。目印は案内看板にある城山遊歩道・城山山頂600m20分。あと紅白のYの看板です。
しばらく山道を進むと看板付きの分岐があるので右に登ります。
●城山山頂550m 15分
山の尾根みたいな細い道を登ります。傾斜が急なところもあるのでゆっくり登ったほうが良いです。休みながら無理せずに登りましょう。
すると看板が立っている休憩所があるのでココが到着地点です。お疲れ様でした。看板には玉城の説明が以下のように書いてありました。
城山
南北朝時代、清和源氏の佐竹義春が足利尊氏におわれ、ここに砦をきずいたと伝えられています。また戦国時代には、浜六兵衛や杉山内蔵助(くらのすけ)がいたとも伝えられています。ここに砦をきずいたのは北国街道と中山道にはさまれた大切な場所であり自然の要害であったからでしょう。
関ケ原町
そして城内
休憩所で少し休んでから城内の散策です。まずは休憩所の裏手を進むと人工的な削平地があります。今までずっと登ってきてここで削平地。不思議な感じです。本丸でしょうか。
削平地を歩いていると大きな窪みがいくつかありました。これは太平洋戦争の時、砲台が置かれたのでその時の跡といわれています。
個人的に玉城の遺構で一番インパクトが大きかったのが削平地背後の大堀切です。山城における堀切とは尾根を断ち切るように掘られた堀のこと。尾根沿いに攻め込んでくる敵を進めなくするための堀です。
竪堀みたいな遺構もいくつかありました。
玉城の縄張りはシンプルです。長い本丸の後ろに大堀切があり、周辺は急峻な崖みたいな地形でそのまま下に落ちてます。
あと実際に現地を訪れて気付いたことのひとつに周辺がほとんど見渡せないというのがありました。かつては木々が無かったので戦場や周囲を見渡せたのでしょうけど、今ではほとんど周辺の様子はわかりません。
でもアプリで見るとこの通り。玉城の近くを通る道は街道なのでしょう。
所要時間と私の感想
玉城の所要時間は登って散策して下山して、これで約90分でした。また私の感想ですが個人的に気になったのは水の手。つまり城内の井戸がどこにあったのかということ。今回の登城では確認できませんでした。
あと急峻な山城なので健脚向けだと思います。登る際にはスニーカーなど運動靴着用が必要です。季節は夏を避けたほうが無難です。その理由は普通に山に登ることにあるので虫が多いかもしれないからです。看板にもあったように熊にも注意が必要だと思います。